スタッフブログ

坂元の森のつどい

去る2022/10/1-2
東京や栃木県から6名のゲストの皆様においでいただき「坂元の森で語る会」を開催しました。

この会では、この成田プロジェクト・さとのえについて、山田様と廣瀬様にお話をしていただく場として、
また、今後の「さとのえ」の活用についても、その可能性を探るようなお話をさせていただきました。

そもそも成田プロジェクトは、2017年の11月ごろから動き出したプロジェクトでした。
新たなモデルハウスの計画や、様々な社会の変化を受けて、
サカモト、サカモトグループ、坂元植林の家、私たちだからこそでき、私たちにしかできない地域や社会への貢献の仕方を模索していたころです。

そして、初めて山田様に柴田町においでいただいたのが2018年1月。早いもので、4年と10か月が経過しました。
その間、槻木駅西モデルハウス「まちのえ」の建築や、いくつかの住宅設計を通じ、山田様が掲げ実践する設計思想を教えていただいてきました。

さらに、さとのえの敷地計画を考えるうえで、風土形成事務所の廣瀬様をご紹介いただきました。
廣瀬様とは、改めて、サカモトの原点である「柴田町成田坂元」という地区とその周辺の自然と人間の関係、
その中で行われてきた土地利用、今を暮らす人々の声、知識や技術を調べ、
それらをさとのえの外部計画に生かし、さらに地域の持続可能性のための記録として公開することを目的として、
2018/9~2019/9ごろにかけて、10の踏査、10の聞き取り調査により「成田の自然とつながる暮らし方」基礎調査を行っていただきました。

その後2019年の10月の豪雨や新型コロナウイルスの感染拡大などもあり、
計画の検討、建築や施工がスムーズに進んだわけではありませんでしたが、
2022/10現在、母屋が完成し、エネルギー棟の完成を待ついるところまでこぎつけました。

そんな中、1つの節目として、山田様と廣瀬様にこれまでの仕事について総括していただき、
それをゲストの方々と共有しながら、今後の活用方法を探る場として今回の「坂元の森で語る会」を設けさせていただきました。

語る会では、
遠方からお越しいただいたゲストの皆様に、社長宅の庭をご覧いただきながら疲れをいやしていただき、
社長からは大沼家の成り立ちや、サカモト・サカモトグループの事業と、
住まいづくりを通じた林業、地域の自然を守りつないでいくことなどについて、お話ししていただきました。

その後、坂元の森を散策しながら、樹齢80年を超えるスギの伐採の見学、
坂元の森を抜けた先で、完成した「さとのえ」の母屋をじっくりみていただき、
山田様と廣瀬様から、それぞれの成田プロジェクトについてお話しいただき、
ゲストの皆様とさまざまな意見交換をさせていただきました。

次の日には、
木材倉庫と乾燥機、製材工場を見学いただき、最後にまちのえをご覧いただいて、
2日間のまとめとして意見交換をさせていただきました。

ご参加いただいたゲストの皆様にさまざまなコメントをいただきました。

「仕事柄、いろいろな林業地にいくことが多いが、暗い気持ちになって帰っていく事が半分くらい。林業の先行きが、補助金だよりで、先細りで・・・という言い尽くされていることだが、そこに山にいる人たちの意識、木を切って出すだけで精一杯。その木がどこにいってどうなっているかということにまで関心が持てない。ということをよく聞く。しかし、坂元植林さんでは、林業の絶望の中にあってもおかしくない山主さんがせっせと木を切って出して、家まで作っちゃっているということが見られて、だれにでもできることではないけれど、すごく希望を感じることができた。」
「こういうありかたが『本当』なのではないかと感じた。流通が肥大化して、どこでだれが何をやっているかわからなくなってしまっている。坂元植林では、山主が植林して伐採して製材して家まで作って。シンプルでわかりやすい。これがもっといろんな人たちに伝わるといいなと思った。そしてそれがまた、全国的な動きにもなれば、日本の林業は暗い話ばかり、暗い未来ばかりではないという気がしてきた。私自身が希望をいただけた気がする。」

「さとのえに関しては、おもしろい場所、これからどうなっていくのか、という気がしている。私自身も関わりたいという気がしている。
以前、古い民家をレストランに回収するお手伝いをしたことがある。コストを抑えるためにワークショップで床・壁、素人なので粗い施工ではあったけれど、毎回20人くらいのひとが来てくれて、延べで200人くらいの人たちがかかわってくれた。その人たちがみんなファンになってくれて、自分たちの場所だいう意識が芽生えたようで、完成してからもお客として来てくれて、友達を連れてきてくれて、嬉しそうに、ここは私が~~したのよ。という話をしてくれている。さとのえもそういう場所になっていく可能性があるのかなと思っている。草刈り一つでも、自分たちの手を動かすことで私たちの場になったという思いが芽生えてくれるといいなと思う。」

「私自身は東京の郊外の生まれ育ちで、核家族で田舎もない、という環境。古民家や里山にはなじみがなかった。地縁や血縁より、考え方や自分の気持ちが寄りそう縁でこれからはいいんじゃないかと思うこともあった。一方で、話が急に大きくなるが、近代化って何だったんだろうと思わざるを得ないこともある。『森を、家を守る』と社長がおっしゃっていて、その尊さに衝撃を受けた思い。自分には到底及ばないことで、こういう人たちが、日本にはあるいは世界中にいたんだなということを思い返した。」
そういうことに、自分のような生い立ちの人間はなかなか気が付かずにいる、そんなこと一番印象に残った。
伝統な木の家づくりや真壁には古臭く感じるところがあったが、最近の30~40代の人で過去の思い出なしに、いきなりこういう伝統的な作り方を見て新鮮に思う方が表れ始めているのかもしれないと思い始めた。最近会う大工さんでも合板を使わない、左官屋さんも土壁を塗りたい。。。という。その世代に向けてであれば改めて響くことなのかもしれない。これまでと伝え方、アプローチの仕方、媒体が変わっていくのかなと感じた。」

「『当たり前の家』ってなんだろうというところから雑誌の出版をしてきているので、すごく近しい・親しい・遠い親戚に会っているような気持ちで2日間過ごさせていただいた。」
「雑誌を立ち上げたときに理想のように掲げたことが、20年経って、どれほどの方が、若い家族が、そういう家を建てたのか、そこで生き生きと子育てをしているんだろう。と考えたとき、なかなか難しいと思っている。雑誌は常に先を前を歩かなくてはいけないのに、ずるずる後退していっているような気持になっていた。ゆっくり歩くことには良さがあるんだなと。ゆっくり歩いてきたおかげで、皆さんとお話をして結びつくのだと。」
「サカモトさんがゆっくり歩いてきたのかというと、その時代その時代の最前線でやってきた結果なのだと考えると、言葉にするのは難しいが、戻るのだけど進む、戻るんだけど進んでいく。そういう流れの中にわたしたちはやはりいるので、そういうことでみんなに心配しなくていいよと、こういう暮らしを、焦らなくとも、孫の世代くらいまでのことを考えたら、うまくいくよ。ということ伝えられる雑誌になれたらいいなということを思った。そういう意味で、みなさまのお力をいただきたいし、力をお返しすることを考えたい。企画を考えたい。こういう人たちをお連れしたいとか、負担にならないような形で、雑誌として何か提案できないかと。みなさまにもぜひ。」

「森に川下の人たちのニーズや関心が届かないことで断絶しているから森が荒れているということを見聞きしてきた。それが、ここに来ると、どっちが川下か川上かわからないくらいつながりあっているという感じがする。それからプロジェクトや建築の作り方そのものがそうだと思うが、ハードとソフトも結び合っている感じがいいなと思った。それをたどっていくと、私たちの社会に折り合ててみると、生産者と消費者という括りももっとあいまいにして、つながりあっていくべきだなと思う。」
「そのために何を変えていくとそうなれるのかというのを昨日からもやもやと考えていた。そういうことをすぐに言語化できなくてもいいし、何かの解決につなげられなくてもいい。とりあえずここにきて、とりあえずみんなとこういう時間を過ごしてみるということが、きっかけを開いていくのかなと思った。」

「国産材を使わないことで森が荒れているということが、一般の人にはまだつたわっていなくて、一般の人はいまだに木を伐らない、使わないほうがいいという意識がある。まだまだ知らない人がいるという中で、こういう活動を続けていく事って大切だと思った。こういう素晴らしい地元の木で作った家を多くの人に見てもらって、そういうストーリーを感じてもらって、そういう人の中から家を建てる時は国産材や地域材を使いたい、という人がいたらぜひ坂元さんにお連れしたいと思った。」

「関わり続けることがその土地の風景を作るということなのかということが勉強になった。『風景は百姓仕事がつくる』という宇根豊さんの本を読んでいる。お百姓さんがかかわり続けることで場が徐々によくなっていく。ということであったり、それから、『庭と風景のあいだ』という本も読み始めているのだが、恣意的に作るデザインされた庭と、風景とのあいだの人がかかわっている状態が、そこに豊かな状況ができあがってくるんじゃないかなと思っている。」

「常々学んできたことだが、人が植物という別の生き物をこんな風に使えて、かつまた再生産されて、という中で循環される営みを続けられるということが、すごいことだなと関わりながら思うようになった。
植物を再生産させながら使うということ、治山治水にもなるということだけでなく、人が手刻みで、構造、材料の含水率、衝撃を受けた時の遊びだとか、残しながら、変形しながら、人を守る殻を作るということ自体が、大勢の人が働くことができて、いろんな種類のいろんな想いを持つ人が働けて、産業にもなって地域も守れる。そういうものをみなさんがよく確立されてきたということを感動的に思うようになった。その一翼を担えるように頑張っていきたい。」

「さとのえが風が抜けてすごく気持ちよかった。その中で皆様がすごく楽しく過ごされている様子をしっかり自分の目に焼き付けられたと思う。これまでは作り手の一員として、大勢の人がかかわってくる中にますが、でもやはり作り手の側にあった。ところがお客さんをお招きした時にこんなにも和やかに楽しく、これだけの人数で過ごせるのだということを見ることができた。何度でもあの場所で、あのような時間が再現され、新たに生み出されるように頑張らなければならないと感じたし、そのモデルを見せてもらった。」

…など、さまざまなお言葉をいただきました。ご参加いただいたゲストの皆様ありがとうございました。また、引き続きよろしくお願いいたします。

今年12月にはエネルギー棟の各種エネルギー設備が完成、春にはグランドオープンという運びです。
一緒にさとのえを作り上げていきましょう。