成田の里に描く、関係性のデザイン3

クロストーク 坂元植林の家×建築家×デザイナー

森から暮らしへ、めぐるめぐみをわかちあう。ウェブマガジン「もりのわ」創刊にあたって、「さとのえ」の建築/外構の設定をお願いした建築家の山田貴宏さんと環境デザイナーの廣瀬俊介さんを迎えて、これからの時代の、地域社会や自然環境と人の暮らしとの関係性のデザインをテーマに語り合いました。多岐にわたる内容を3回に分けて掲載する連載の3回目、最終回です。家づくりだけではなく、生き方・暮らし方の手がかりとして、お読みいただければ幸いです。(収録:2020年11月 、公開:2022年10月 もりのわ編集部)

写真右から、山田貴宏さん(建築家・ビオフォルム環境デザイン室)、弊社代表取締役・大沼毅彦、弊社企画経営室・大沼育美、廣瀬俊介さん(環境デザイナー・風土形成事務所)

第3回 繋ぎ直し、結び直す「さとのえ」へ。

自然環境と共生する循環型の農的生活の思想やデザイン手法をベースにした住環境づくりを活動テーマとしている建築家の山田貴宏さん。地理学や景観生態学をベースにして、地域の風土性についての調査を丁寧に行うことからデザインを始めている環境デザイナーの廣瀬俊介さん。お二人を迎えての対話は、自然の摂理に沿った暮らしのデザインの話(第1回)から、地域社会のつながりの話、家や周囲の自然環境に紐づく私たちの記憶の話から、坂元植林の家の新しい「モデルハウス 」を立てる場所として、まちなかではなく、坂元の森の麓に決めた理由へと展開してゆきました(第2回)。その続きのお話です。

2020年11月「さとのえ」の基礎。

育美
まちなかではなく、坂元の森の麓に建てると言うのは、お客さまには、うちの建物だけではなく、その木を育んでいる山も見て、感じていただける。具現化したものを見ることによって、理解を深めていただけると思うんですね。先ほどのふるさとの話ではないけれど、なんとなく日本人の持っている原風景というのでしょうかね。そういうのを体験してもらうことによって、私たちの取り組みも理解していただけるのではないかなと思っています。

大沼
うちもこの土地に、代々何百年といますので、この地域の方たちとのつながりもかなり深いわけです。時代が変わっても、土地と人の繋がりや、人と人の繋がりなど、いいもの、大切なものもたくさん残っていて、そういう地域の宝をこの成田プロジェクトでも生かせる。そういうな考えもあったよね。

育美
そうなんですよね。例えば、地域には、ずっとおいしい味噌を作り続けている88歳のお婆さんがいます。その方はお会いするたびに、この田舎に嫁に来てからのことを「おらはずっと頑張ってた」って。そうして最後に「このまま死んじまうのやんだな」って言うんですよ。ああ、こういう人にも光が当たればいいなと思うんです。光がというか、大切にしたいと言うことですね。日々のことを、地道に、愚直に、丁寧に続けている地域の人たちが守ってきたことを、伝える場所として、いろんな人が学べる場所として「さとのえ」を生かしたいですね。

山田
先ほどの地域のお守り役ではないですが、そういう場を提供する人は、僕はこれからの時代にますます必要になってくると思うんです。僕らのように生まれ故郷を離れ、別の場所でノマド的な暮らしをしている人も、最後に、ある地域に根ざすことになった時に、そこの下支えをしてくれている、地域のお守り役のような人・・・。

昔は、それはお殿さまだったのかもしれないけれど、今はそういう封建的なお殿さまなんて時代に合わないから、なんというのかな、英語で言うとStewardshipのような言い方をするではないですか、そういう役回りですね。ここに、一つのアンカー、錨のようにしっかりしたものができるというのは、とても意味があるのではないかなと思います。拠って立つところとして。

それから、育美さんがお話しされた、ここの昔ながらの里山の暮らし的なものを、人間のDNAの記憶のよりどころとして伝える場所を作るというコンセプトは、僕はとてもいいと思います。

 2022年10月1日「さとのえ」。竣工した母屋。現在は、隣接するエネルギー棟の土壁づくりなどが、来春の竣工に向けて進んでいます。

 

もりのわ編集部
「モデルハウス」と呼ばない。その考えの背景もよくわかります。陳列する見本商品ではなく、生きた暮らしを伝えて体験していく、コミュニティハウスのようなイメージでしょうか。

育美
はい。「さとのえ」をそういう形で続けていくことは、本当に大変だと思っているので、しっかり経営できるようにもやっていかないと。つくったはいいけれど「もうどうなっちゃったの?」と言われないようにしていかないと・・・。

山田
そうですね。だから、誰かに住んでほしいですね(笑)。
育美
たぶん私が住むことになるのかな(笑)。誰かがしばらく住んで、空気が馴染んでくるといいと思います。

大沼
そうだね。まずは地域の方たちにもどんどん開放して利用してもらおうと思っていますし、当然、うちの社員やグループ企業の方たちにもどんどん宿泊してもらったりね。
それから、私は、祭事は大切にしていきたいと思っています。季節ごと行事、祭事を地域の方たちに教えていただいたりする機会も地道に続けていけるようにしていきたいですね。あとはやはり、いろいろなネットワークで、町外や県外、東京や関東の方たちとも価値の共有ができるように、このモデルハウスを活用していきたいと思っているところです。山田さんのご指導で、うちの社員も数名パーマカルチャー講座をオンラインで受講始めていますから、その繋がりでも勉強会などやれたらいいですね。


2022年7月「さとのえ」台所のペチカ。

 

もりのわ編集部
育美さんや社員の方も受講されていると聞いています。坂元植林の家の理念とパーマカルチャーは共鳴し合うところが多そうですね。

大沼
農的な生活というよりも、どちらかというと森・・・。

育美
そうなんです。最初は「農的な生活を学ぶ」ものと捉えていたので、森として捉えるということがわかってきて、おお!と・・。

山田
パーマカルチャーって、日本では「農的な暮らし」と言う言葉は使われるけど、元々は、英語はfarmingではないんです。創始者のビル・モリソンも、誰もそんなことは言っていなくて。別に農業をやるわけではなくて、自分の食料をどうにかするとか、あとは植物的なものに回帰していくとか、そういう全体像を農的と言っているだけなんですけど。あらためて考えてみると、ビル・モリソンが言っているのは、食べられる森をつくるということ、森をどう復活させるかということなんですよ。別に農業をやろうと言っているわけではなくて。

育美
農業が自然を壊すこともあるというお話があって、なるほどと思って・・・。生産性を上げるためにやっていることが、かえって自然を壊しているんだと、なるほどと思いました。

山田
ハラリの『サピエンス全史』にも、そういうことが書いてある。森に暮らしていたホモサピエンスが森から出て、農業革命があって、農業を始めることによって、いかに環境を破壊してきたかということが。どこまでが本当か僕も分からないけれども、たぶんあらかたは合っているのだろうと思うんですよね。狩猟採集生活のほうが労働時間は少なかったというわけで、1日3時間、4時間を働けば、自分の生命を維持できた。だから、なぜあえて人間は農業を選んだのか、そんなことまでいろいろと書いてあったのですが、とにかく森から出てしまったことが人類の苦難の連続につながるし、環境破壊もいろいろな問題の元凶だと・・・。

そう考えると、農的な暮らしはいいんですが、もちろん今の現代生活からいったん植物の世界に立ち戻る、さらに言うと、その植物はイコール森で、森の世界観まで含めたところに、やはり立ち戻る必要はあるんだろうなというのが、最近の僕の考えなんですよね。人間の本性と森をどういうふうに、もう一回つなぎ直すかみたいなこと、です。だから、このプロジェクトも、森とどう結びつくのかということは、ずっと考えてはいるんですけどね。別になにか答えを持っているわけではないんですけど。

 

廣瀬
私も今、山田さんと同じように、そのようなことを模索しているところです。「さとのえ」の建物は、低山の尾根が麓へ下りてきたところにありますよね。尾根から北側には、西側の森と東側の森にはさまれてゆるやかに下る斜面があります。斜面は、かつては畑として使われたこともあったそうです。

ここをどのような場にするか計画する中で、東西の森をつなぐことを根本におきました。建物を中心として人が活動する場とすることが整備の動機となってはいたんですが、地域の風土に合った場としたいからしっかり調べて欲しいと求められていましたし、本来ここはどのような自然のある土地で、そこに人が手を加えてどう持続的に活動がされ、時代や技術が変わった結果近年の状態はどうで、しかし再び持続的にこの土地を利用するならば、この土地を生態的にどう位置づけ、それに人がどう折り合いをつけながら自らの居場所を構えられるのかというような順序で、計画をしました。今後は、さらに時間を使って地面に降りた雨水の流れ方を観察し、また土地の草木にどう手を入れるとどんな反応が返ってくるか試して記録をしながら、設計を進めていく心づもりですが、「さとのえ」自体が、森と人の関係の結び直し方について考えて、実践していく取組みと言えますね。

育美
森や山との関係性で言えば、いやなことがあると、私、よく山に逃げ込んでいたんです(笑)。

山田
時代劇みたいですね(笑)。

育美
まったくそうですね。嫌になると、どこにも行きようがないので、しようがないから子どもの手を引っ張って、山に行くわけですよ。上から見下ろスト、見える景色が全然違うんですよね。考える視点がまた変わってくるんですよ。空気も違うし、自分のなかで清涼剤ではないけれど、森の中、山の中に入っていくとほっとします。人間というのは自然の中に身を置くことがどれだけ大事なことかと思いますね。空気や光、匂いを感じること。

娘が進学で東京に出て、たまたま帰省した時が、敷地の草刈りをした直後だったんです。それで言った言葉が「東京はね、草の匂いがしないんだよ」なんです。「うわあ、この匂い、大好き。なつかしい」と開口一番言うんです。原体験というのは大事だなとあらためて思いますね。

大沼
山や森のことで、私が思うのは、今、この地区の方たちも山林を所有している人が多いのですが、自分が植えたものも先代のじいちゃんが植えていたのも、結局手入れもされず荒れているようなところがほとんどです。それはなぜかと言うと、結局収益にならないわけですよね。切ってもお金にならない。そういったところで、われわれも一緒に林業を通して何かできればと思います。たとえば、山を持っているけど、今まで手付かずだったという人が、会社を退職して時間ができて、ちょっと自分の裏山に木を切りに行けるというような時に、それをうちのほうで購入できるような受け皿になれるとか。少しでも経済的な部分で寄与しながら、みんなで山を守っていくような仕組みづくりですね。じいちゃんが木を植えた山、父ちゃんが木を植えた山を、やっぱりそこに大切に思っている気持ちは、本当は誰にでもあると思いますし、そういうところも、きちんと受け継いでいく、そういう形を作りたいなと思っています。

現状では、相続などがあると「もう山はいりません。ただでいいからもらってください」というお話も多いんです。これは山だけではなくて、いま農地もそういうふうなことになっていますよね。非常にこれは寂しい形なので、われわれのこのプロジェクトを通じて、自分たちでどこまでできるか分からないですけれども、こういう地域が抱えている問題に貢献していければという夢があります。

育美
山をたくさん所有していて、社会的にみれば素晴らしいと言われるのですが、今の資本主義社会では、山の価値をお金に換算したら、ほとんど無いも同然です、驚くほど。山に携わるものとしては、そこが悔しいかなと思うところではあるのですが、それを受けて私たちが、山に対して、もっと価値が出るようなことをやっていけるか、それが本当にできるかどうか分からないですけれども、挑戦する価値はあると思います。



山田
今の貨幣経済のなかでは、難しいところですね。ヨーロッパの農地は、僕が読んだ情報では、補助金付きなんですよね。ではなぜ補助金を付けているかと言うと、農地の総合環境価値のようなものを国が認めているからと聞いたんですけど。

廣瀬
そうです。EUの全体と各国で。市場経済に任せてはおけないという理由からです。森林に対してもそうで、治山治水といった防災面や生物多様性保全などを考え合わせて、各国で森と農地の公益的価値を高く評価し、所得保障を行っています。さらに、例えば渡り鳥が渡りに際して休憩地点とする湿地などを、EUとして連携して保全し、同じく所得保障をしています。EU法の1992年農業環境規則には、環境から人が得ている便益は「農業への市場原理の一層の導入」によって損ねられないように対応する必要があり、「農業政策と環境政策の一体化」を図りながら「環境便益を提供する農家への適切な支払い」を行うことが定められています。助成対象には、農薬や肥料の投入を減らす農地や再び野生動物に返すことにした農地なども含まれています。(註1)

育美
市場経済にのせては駄目なものかもしれないという思いもあって、そういうところは林業をやっていて少し寂しくなるところでもあります。というのは、山守りは本当に大変なので。環境保全をしていこうという考えの人の中にも、残念ながらまだまだ理解が浅いのではないかな、という場合もあります。たとえば、とある団地に隣接していた山があって、そこはある程度を計画伐採のなかで、利用するために木を切っています。すると突然、役場から電話が来て、近隣の住民から、「山の木が切られているが、それはいけないことだからやめさせて」と言われた、と。「説明しますので、こちらに来ていただけますか」とお答えして説明をしたことがあります。割りばしの問題もありますね。。間伐材を使って、無駄にしないようの割り箸が作られているのに、割り箸を使わない運動が違う観点から生まれてしまったりします。林業の立場からすると、間違った理解が進んでしまうことには、いつも考えさせられています。

大沼
やはり市場経済のなかでなんでもかんでも管理されるというのもいかがなものかとは思います。その度合いというか、バランスは非常に重要なのではないかと思うんです。やはり、林業でも、その地域地域によっても、育て方も違います。特徴がありますし。切磋琢磨しながら、材料としてより付加価値の高いもので、少しでもコストを下げて供給をしていくこと。利益を上げることも重要なことですし。だから、一概に大規模伐採が駄目だ目だということではなくて、やっぱり全体を見てのバランスではないでしょうか。
それから、森や山の価値も多様化していくなかで活用の仕方はいろいろあると思うんですね。もう少し幅を持たせて、生かすような形も考えていきたい。

われわれも補助金をいただいている身なんですが、補助金をもとに全国津々浦々同じような形でなく、もう少し多様的に考えたいですし、援助の仕方や補助の出し方も考えてもらえると良いと思います。そうでないと、本来、大切にすべきことを大切にできない、本当の意味で目的というものをかなえられないのではないかと思うんです。まだ正直、自分なりにも考えが定まっていないのは事実ですが、非常に疑問を感じているところではあります。


2020年11月「さとのえ」基礎工事

 

編集部
理念や目的はしっかり保ちながら、全体を見て総合的な視点や判断も大切にされていることがよくわかります。そろそろ時間になるのですが、山田さん廣瀬さん、それぞれから、成田プロジェクトとして始まった「さとのえ」を、今後、どう育てていくと良いか、その辺りのお話を伺えたらと思います。
座談の中盤で、コミュニティの話と森の話が大きなテーマとしてあったと思います。日本社会の中でも、本来そうではないところに分断が起きてしまったり、時間軸で見ても昔からある有形無形のものが途中で消えてしまったり、課題も多いと思える現実がありますが、サカモトさんのお話を聞いていると、そういうところを、さまざまな形で結び直す、つなぎ直す場としての可能性を大切にされていると感じています。それが可能になる設計を山田さんも廣瀬さんも形にしておられるように思います。そこで、これからの展望のようなことをお聞かせいただければ・・・。

山田
僕は講義のなかで、非常に雑ぱくな言葉ですが、総合環境価値という言葉を使っているんです。具体的になんだ?と言われると、それこそ答えにくいのだけれど。要は、パーマカルチャー的な全体性、総合性です。それを実践できる場ではないかと思います。そういう場として使ってほしい。

それは建築だけでなくて、建築は一つのハブ的な役割をするわけですし、いろいろなことの関係性があるからね。それをその周りに展開するのは、里山であり、畑であり、果樹であり、この森でありということだと思うので、それがきちんとあそこでインテグレート(統合)されるような場として育っていくといいかなと思うんですけど。
育って欲しいという願望なので、その具体論はなんだ?と言われるとちょっと難しいのだけれど。とにかく、使ってもらわないと生きてこないので。

廣瀬
そうですね。うまく答えられないですが、人の活動の場としては、地形を生かして、人があそこにいて、なにかをしやすい、そういう場所にすること。道をつけることとか、小さな平場を設けることとか、畑を作るとか、そういうことですよね。

それをしながら、雨水が走って、敷地外に逃げないようにするとか、地面に落ち着かせて、地下に返すとか。そういう当たり前なんですが、当たり前に必要なことをしっかり実現することで、人の居場所の土台になると思うので。

それから、今後は、あそこに生えていた木々のうち、枯れた大きな木は切っていただきますし、その他、いま生えてきた木を育てること、また、外来種の草は、なぜそれを抜かなければいけないのかなどという説明もしながら、みんなで抜いてみたり、利用できるものは利用してみたり・・・。そういうことをやりながら、その土地の植物とか動物が戻ってくるようにすることで、先ほど、社長夫妻がおっしゃった地域の祭事に使うものが、あそこでも得られたりとか、祭事の舞台として、背景として、ふさわしいような環境が戻ってくるように。そんなこともあらためて意識したいと思いました。地域にいた生き物が、そこでまた見られるようになることで、祭事も引き継いでいける、再興できる、そんな可能性がもてるのだと思います。

大沼
私の方も、今日、こうしてお話ができて、山田さん廣瀬さんのお話を改めて聞いて、やはり森であるとか、このコミュニティであるとか、この地域であるとか、風土であるとか、こういう価値をいま一度、しっかり見出して、これを生かすようなプロジェクトにしていきたいと、あらためて感じたところでした。

育美
人ひとりがすべてを補えるわけではないので、それぞれの役割のなかで、それぞれの力が発揮できて、生かせるような場を作りたい。それがたぶん次世代に、ああいいなと思われるような、憧れてもらえるような、そういう場であれば、きっと次にもつながるだろうと思います。

すごく母性的と言うかな、なのでしょうけれども、絶えず次の世代を意識しながら、そのメッセージを発信する場として、いまの若い人たちというか、次世代の人たちが理解を深めてくれるようになればいいのかなと。そんな5年や10年で結果が出るプロジェクトではないので、たぶんこれが成功だとか失敗だとかというのは、30年くらいを経ないとわからないのでしょう。あの家「さとのえ」に魂が入るには、やはりそれぐらいの年数がかかるのではないかなと思っているんです。だから、その30年間を、あそこにきちっと魂が入るような物事の行いとか営みというのでしょうか、そういうことをきちんとできればいいなと、今日、皆さんと話していて、あらためて思いました。 (終)

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註1
出典: 財団法人日本生態系協会編・発行『改訂版 環境の時代を迎える世界の農業』2004年、総147頁