第1回 自然の流れの中で生まれる家
自然と共にある設計思想の話|山田貴宏さんインタビュー
連載の初めに
坂元植林の家では、長年、理念として掲げてきた「自然との共生」「地域との共生」の理念を、さらに家づくりで具現化していくために、創業110年を迎えた2018年から、建築家の山田貴宏さん、環境デザイナーの廣瀬俊介さんと、「成田プロジェクト」と呼ぶ地域の風土調査や、「まちのえ」「さとのえ」という新しいモデルハウス の建築を進めてきました。
山田さんや廣瀬さんとの協働は、これからの時代に「私たちの暮らし方と地域や自然との関係性をどのように結び直していくと良いのか」を考えていく手がかりにもなると考えています。そのような考えで、「もりのわ」では、山田さんが語りおろす「山田ゼミ」と、廣瀬さんの調査内容を紹介していく「廣瀬ゼミ」の連載を始めます。まずは、先行してスタートする山田ゼミの第1回をお届けします。
坂元植林の家「まちのえ」「さとのえ」の設計をお願いした山田貴宏さんは、ご自身の暮らしぶりにおいても、「自然や環境と調和して、自然の恵みを分かち合う暮らしをつくる」という設計思想の具現化と、そこで生まれる生活環境を享受し、(全国各地を飛び回る建築家でありながら)地に足がついた暮らしを楽しまれています。その舞台が、神奈川県相模原市(旧・藤野町)の里山長屋と名付けられた住宅です。
山田さんが設計した「里山長屋」は、4軒の住宅と1軒の共有スペースであるコモンハウスが、日本でかつてよくあった「長屋」のように連なります。入居する4家族が企画や設計の段階から協働するコーポラティブハウス形式で建てられ、山田さんも奥様と一緒に、その1軒で暮らしています。里山長屋が完成したのは、2011年1月。雑誌やテレビ番組でも多く取り上げられましたから、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
最初に入居されていたご家族は皆、山田さんが講師の一人であるパーマカルチャー塾*1の受講生というつながりがあります。建物の前には、それぞれの菜園や共同の鶏小屋、雨水をためておくタンクなどがあり、建物の中と外(庭や周囲の環境)が緩やかにつながり、また、プライバシーは保ちながらも、かつての長屋のように、日々の会話や相互の助け合いやお裾分けなどが自然と生まれやすい環境です。
「もりのわ」編集部は、2020年の初夏に里山長屋を訪ね、2日間滞在させていただきました。室内から外へ、外から室内へ、風や光がめぐり、降った雨が庭や菜園をめぐり、菜園や鶏小屋からキッチンへ、そして食卓へ命がめぐる、そんな自然のめぐみの循環を、見て、聞いて、肌で感じながら、山田さんへのインタビューを行いました。その内容を、このような章立てで6回に分けて紹介します。
第1章「里山長屋での暮らし 環境的な建築家としての自問自答」
第1回「自然の流れの中で生まれる家」
第2回「自然の理解と環境建築」
第2章:建築家としてのあゆみ 右肩あがりの時代から循環のデザインへ
第3回:「試行錯誤と学びの日々」
第4回:「まちの在り方と建築の役割」
第3章:坂元植林の家とともに 持続可能な社会への手がかりを探して
第5回:「地域との共生〜工務店とともに」
第6回:「これからの時代を生きる人へ」
家づくりをお考えになっている方だけではなく、自然と共生する社会のあり方、暮らしのあり方に関心があるみなさまにもぜひお読みいただきたいと思います。また、建築やまちづくりを志す若い世代の方々にも薦めていただければ幸いです。
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山田さんのプロフィールについては、
「もりのわ」のこちらの記事(クロストーク 成田の里に描く関係性のデザイン1)や
http://sakamoto-shokurin.com/morinowa/6009/#more-6009
代表を務める株式会社ビオフォルム環境デザイン室のウェブサイトもご参照ください。
https://bioform.jp/about_us
さて、前置きがとても長くなってしまいましたが、ここから先は、「山田ゼミ第1回」。里山長屋が、このようなスタイルに決まるまでの経緯を中心にお伝えします。(もりのわ編集部)
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第1章 里山長屋での暮らし ― 環境的な建築家としての自問自答
–第1回 「自然の流れの中で生まれる家」
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自然や隣人との健全な関係を導いてくれる住宅の形
里山長屋ができたのは、2011年1月です。だから、来年の1月でちょうど10年ですね(インタビューから1年半が経過し、2022年1月で11年になりました)。
里山長屋ができた経緯をお話ししましょう。
パーマカルチャー塾*1の仲間が、藤野町*2に移住したくて、土地を探していたんです。それで、いいところが見つかったから設計をお願いしたいと依頼があったわけです。それが、この土地でした。3区画の土地として売りに出されていて、1区画が100坪ちょっと。もともとはヒノキ林で、そこを地主さんが開発して、旗竿状の土地として3区画にした。
3区画あるわけで、その隣の土地もいいね、ということで、やはりパーマカルチャー仲間が、じゃあ僕も藤野へ移住すると、その土地を買ったんです。だから同時に2世帯のふたつの建物を隣同士で設計しましょうか、というスタートでした。
当時の日本は、エコビレッジ*3についての議論も盛んだった時期です。世界的には、もうずっと以前からある考え方なのですが、日本でもエコビレッジをつくろうという、そんなムーブメントがあって・・・。じゃあ、お互い知っている同志だし、ミニミニミニエコビレッジで、2世帯を接続してニコイチの暮らし方というか、そういうのを考えてみましょうか、というような話をしていたんです。でもやっぱり、2世帯って厳しくて、けんかをしたら、すぐにおしまいになりそうで(笑)。
だったら、参加する世帯を増やしてコーポラティブ方式で企画をして、プロジェクトを起こしてみませんかという話になって、隣の土地も含めて全部で300坪の土地と買い求めて、コーポラティブ住宅の企画に発展しました。
この発想には下敷きがあります。実はその前に、東京の足立区でエコアパートというのを設計したことがありました。竣工が2007年だから、もう14,5年前かな。要は、都会の中で生産的な暮らし方をするにはどうしたらいいか、家に畑がついていればいいんじゃないか、という単純な発想から生まれたアパートです。
足立区は、まだ少し畑も残っているエリアです。アパートのオーナーさんも、都が持っていた遊休農地を借りて、そこをコミュニティガーデンに仕立てて、近隣の人たちで畑を耕すという活動を一生懸命やっていた方なんです。コミュニティガーデンは、日本では呼び名もあまり使われなくなったんですが、地域のコミュニティの中で、畑を耕して、それぞれが食べる作物をみんなで作り、そのことが、コミュニティの接着剤にもなるという考え方です。
そういうオーナーさんでもあったので、アパートの1室ごとに庭のような畑を作るんだけど、それはたかだか5坪とか6坪ぐらいだから、たいした自給ができるわけではないんですけど・・・。でも、そういうものが都会の暮らしの中にあることで、住人同士の接着剤になるのではないか、あるいは、外から人が入ってくる一つの仕掛けになるのではないかと、菜園付きのエコアパートをつくったわけです。
そのころは、後でまた詳しくお話ししますが、僕がパーマカルチャーとか環境建築とは何ぞやということを考えていた時代だったから、そのひとつの答え、ひとつの可能性として、エコアパートの形もあるでしょう、と。単に環境にやさしいとかいうことだけじゃなくて、隣人ともつながる仕掛けがあるとか。パーマカルチャーって関係性のデザインだから、単に物理的な省エネの話ではなく、もっと総合的にいろいろな関係づくりができる暮らしの場をつくろうというのが、そのエコアパートの発想だったんです。
それはなかなか好評で、テレビ局や雑誌、新聞など、全部で100件ぐらいの取材を受けたんじゃないですかね。世の中的に、こういう暮らしの場を作ることに関心を持つ人が増えてきたという印象はありました。
そんな経緯から、里山長屋につながるわけです。
エコアパートは賃貸だったから、今度はここで、いろいろな人が関係性を作りながら、なおかつエコロジカルな暮らしをするために、賃貸ではなくて、自分たちが、ちゃんと責任持ってお金を出し合ってつくるという試みをやりましょうということになったわけです。
最初のスケッチは、全部で6軒ぐらいの、6軒とコモンハウスという仕立てだったんですよね。告知をして、ここに住むという前提で関心を持ってくれる人を集めて、ワークショップを4回ほど開いて、これからの新しい暮らしって何だろうみたいなことを議論しながら、計画を徐々に詰めていきました。
追加で取得しようとしていた隣接する土地は入手できなかったこともあって、敷地は220坪。ワークショップで最後まで残った4世帯で出資しあって、2008年の9月に着工しました。竣工が2011年1月だから、1年半ぐらい、ずっと工事をしていたことになります。
暮らす人が主体的に考え、手を動かし、ともにつくる家
コンセプトと建築のことを少し詳しくお話しします。
軸になったのは、エコロジカルな暮らしを考えていきましょう、環境に優しい暮らしを実践していきましょうということ。そして、これは少し実験的な場でもあるんですが、小さなコミュニティで健康的な隣人関係を考えていきましょう、と、そういう考えがありました。それを「里山長屋」という名前にも反映させています。日本のパーマカルチャー的な風景としての里山という言葉を借りて、また、昔ながらの良き隣人の関係というか、健康的な隣人関係をイメージした長屋という言葉を借りています。
まずエコロジカルな側面から言うと、自然の流れの中で無理がない、あるべき建築の姿って何だろうと考えたときに、やっぱり徹底的に自然素材を使う。しかも、地域の素材を使う。それを地元の職人さんで作る。あるいは、地域の気候風土に合った建築で作る。そこにつきるわけですよね。
だから、この建築は伝統的構法で作られています。職人さんが、すべての材を手で刻み、昔ながらの木組みで、昔の構造です。今のバッテンの筋交い構造でなくて、貫構造と言います。横につないでいる材があるじゃないですか。これを貫と言うんですけど、この壁の中、全部その構造で入っているんですね。籠みたいな構造だから、地震に対しても風に対しても、しなやかに追随するという特性があります。
日本には、台風や地震が多いという状況があるけど、それに対してけっこう合理的なんですよね。壁にしても、地元でとれる竹で壁の下地を編み、そこに土を塗るという、昔ながらの方法。大地から得られる素材で家をつくる、ということを、とにかく徹底的にやりましょう、と。残念ながら基礎はコンクリートですから、自然の素材ということでもないんですが、一応そういうコンセプトで作ったということです。
入居者ができることは作業しようということで、竹を刈ること、土づくりに使う藁を刻むこと、土をつくること、土で壁を塗ること・・・、そんな工程をワークショップとして行ったんです。春から夏にかけて、3か月か4カ月ぐらい、毎週末に、ずっと竹編みと土つけ、荒壁つけやっていましたね。入居者だけでなく、仲間や関心ありそうな人にも声かけていたら、毎週30人くらい、延べ300~400人ぐらいの若い人が来てくれました。
土壁は、竹を細く割ったものを縦横に案で、竹小舞という土台を作って、その上に土を塗って行くんですが、その竹を細く割る作業も、全部自分たちでやりました。それが、じつに大変でしたね。竹割り器というものがあるんです。刃がついている小口に当てると、ぱりぱりと割れるんだけど、それを使って全部で2000本ぐらい割ったかな。
そういう体験もしてみようというのは、とても大事なことですよね。ワークショップ参加者の半分くらいは、学生さんでした。ハビタット・フォー・ヒューマニティという国際N G Oの日本支部に声をかけて、その活動に参加している学生さん達が毎週10人くらい参加してくれたんです。このNGOは、途上国に行って恵まれない人たちの家づくりを、現地の家づくりの工法を学びながら一緒に手伝う活動をしています。その活動も素晴らしいことなんだけれど、僕らの口説き文句としては、日本にもこういう伝統的な手法があって、自然素材だけで作られているし、こういうことを学ぶのもいいんじゃないですか?と。そうお声掛けしたら、ぜひと言って来てくれたんです。それはとてもありがたかった。ひとつ驚いたことと言いますか、残念に感じたことがあります。参加者の中に、大学で建築を学んでいるという学生さんが一人もいなかったことで、大学では木造を教えないところが多いのか、教わっても関心が持てないのか・・・。どうなのでしょうか。
そんなことをやりながら、1年半かけて完成したのが、里山長屋です。日本の伝統的な工法で、自然素材だけで、できるところは手作りで・・・。自然の流れの中で、ひとつの出来事のように形になっていく建築。たぶんそれが、理想的な作り方なのだろうなと思います。
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註1 パーマカルチャー塾
パーマカルチャー・センター・ジャパンが開講している「パーマカルチャー塾デザインコース」
https://pccj.jp/portfolio/2022designcourse/
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註2 藤野町
2007年に相模原市に編入され、神奈川県相模原市緑区の一地域となった。相模湖や森林などの豊かな自然環境に恵まれ、アーティストや工芸作家、農業を志す人など移住者も多い。パーマカルチャー・センター・ジャパンの施設も藤野にある。
藤野観光協会 https://info-fujino.com
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註3 エコビレッジ
住民同士が支え合い、環境負荷が少ない、環境共生型の暮らしを実践していく、地域社会づくり・まちづくりのコンセプト。日本のエコビレッジの1つ、北海道の余市エコビレッジには、山田さんも設計者のひとりとして立ち上げに参画した。
http://ecovillage.greenwebs.net/index.html